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「この世を生き切る醍醐味」樹木希林の書評・要約・感想

書評

「この世を生き切る醍醐味」では、余命数か月と宣告された樹木希林さんが、これまでの人生を振り返って、演技や、夫である内田裕也さんや、娘の也哉子さん、娘婿の本木雅弘さんとの私生活について語られています。

樹木希林さんの紹介

樹木希林さんは、1961年に文学座に入り、「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」「ムー一族」「夢千代日記」などのテレビドラマや、フジカラーやピップエレキバンのCMで一世を風靡しました。近年では映画「あん」「万引き家族」などが高く評価されています。2008年に紫綬褒章、2014年に旭日小綬章を受賞されています。

樹木希林さんは、2005年に乳がん、2013年に全身がんを公表され、2018年9月15日に逝去されました。享年75です。この本は、2018年3月22日以降3回にわたって、樹木希林さんに行ったインタビューを元に書き下ろされたものです。

↓樹木希林さんの本

この世を生き切る醍醐味 (朝日新書)

「この世を生き切る醍醐味」を読もうと思ったきっかけ

世間で話題になっている本だし、樹木希林さんが晩年、どのように病気と向き合っていたのか、今後の自分の人生にも参考になるかと思い、読んでみた。

「この世を生き切る醍醐味」の要約

プロローグ きょう一番話したかった話をするわね。
1 私は「闘病」というのをした記憶がないのね。
2 仕事は出演依頼が来た順番とギャラで選んでいるんだから。
3 メインになってない分だけ打たれ強いわね。
4 じゃあ、食いっぱぐれないように家賃収入で食えるようにしとこう。
5 ああ私って、口が悪くてケンカっ早いんだなと気づいたの。
6 別に脱がなくてもよかったのにさ、「私、脱ぐよ」って言ったの。
以下省略。

樹木希林さんの家族構成

希林さんの父…薩摩琵琶奏者。
希林さんの母…一家の大黒柱。居酒屋を経営。

樹木希林…幼少時代は物静かで優秀。
内田裕也…希林さんの夫。ロックンローラー。2019年3月17日に逝去。

内田也哉子…希林さんと裕也さんの一人娘。19歳で結婚。
本木雅弘…也哉子さんの夫。希林さんの娘婿。

雅樂(うた)…也哉子さんの長男。希林さんの孫
伽羅(きゃら)…也哉子さんの長女。〃
玄兎(げんと)…也哉子さんの次男。〃

「この世を生き切る醍醐味」の要約と感想

樹木希林の名前の由来

「おまえ、芸能界っていうのはね、生き馬の目を抜くところだから、勇気があってね、『勇気凛々』というのはどうだ?勇気凛子っていうのはどうだ?」

希林さんの父親が芸名を提案したのですが、希林さんはこの名前は嫌だと言って、「悠木千帆」という名前で芸能活動を始めます。途中で芸名を変更するんですけど、その時希林さんが最初考えたのが。

ちゃちゃちゃりん。(・o・)

勇気凛子がダメで、「ちゃちゃちゃりん」がOKって…。どー違うの?(^_^;)

ちゃちゃちゃりんは、当て字に適当な漢字がなかったので、「樹木希林」になったらしい。「勇気凛子」このまま埋もれさすにはもったいないくらい、ナイスな芸名やのに。(・へ・)

裕也との結婚生活

裕也とは、同居していたのは正味3か月足らずで、その後45年も別居生活だったらしい。一応夫婦なので、いろいろ会う用事とかあるんで、1年に1回か2年に1回くらいは会って話しするんだけれど。

「会うでしょ、もうね、お互いに言いたい話がたまってるわけよ。でね、もう両方でべらべらとしゃべっちゃうの。」

最初は、楽しく二人で喋ってるんだけれども。^^

「昔とおんなじ話をね、「あの時はああだった。この時はどうでこうで」なんてさ、「もう、それ聞いた」って、「100回も聞いた」って私が言い始めて。なんかこうカーっとしてくるのよね。」

それでお互い喧嘩になって別れ、再び会うのは1年後、みたいな。
一緒にいるのは2時間が限度らしい。

でも!結局二人は別れなかった。(^_^;) 夫婦の絆なんですかねぇ。

裕也と也哉子さん

也哉子さん、父親のこと「裕也」って呼び捨てにするんです。也哉子さんは、希林さんと裕也は、別れればいいのにってずっと思ってたらしいです。也哉子さんはインターナショナルスクール出身なんですが、理由は、希林さんと裕也が離婚するともめていた時、マスコミが騒ぐので、普通の幼稚園に入れようとしたら、断られたからです。

也哉子さんがスイスの高校を卒業したとき、3人で初めての家族旅行をしたらしい。でも、裕也がすぐにもめ事を起こすんで、恥ずかしくて「ねえ、お母さん、もう二度とこういう旅はしないで」って希林さんに頼んだらしい。

家族旅行が一生に一度しかないっていう家族は、珍しいですよね。

裕也と也哉子さんが会うのは、毎年「父の日」と決まっていて。
…会うのは年に一度って、七夕かいっ!(; ・`д・´)

しかし、1年に1度の父の日の、娘との約束をすっぽかす裕也!(-_-メ)

也哉子さんと本木さんとの馴れ初め

翌日、裕也から也哉子さんに電話があって、六本木のすし屋に呼び出されます。そこに本木雅弘さんがいて、裕也に紹介されたのが也哉子さんと本木さんの最初の出会いです。この時也哉子さんは15歳。

樹木希林さんの人柄

樹木希林さんは、末期がんなのに、淡々としてて、悲惨な感じがあまり伝わってこないです。痛いとかつらいとか、「もう、しょうがないじゃない?」て淡々としてるんですよ。なかなか真似できないことです。

何かの時に「ほら、私ここの骨が折れてるからさ」って。「えっ?いつ折れたの?」「いや、もう1年ぐらい前からだけど」「ええっ!」って感じでね。(也哉子 談)

言ってよ。希林さん、それを早く言って。( ˘•ω•˘ )

「どうして言わないの?」と問い詰めると、「だって、言ったって、しょうがないじゃない」って(笑)そんな感じですから、とにかく自立してました。(也哉子 談)

自立、ねぇ…。(・へ・)

うん、やっぱりいつまでも危ない感じっていうのは残しておきたいなと、役者としてね。想定内の動きの時もあるけども、「はあ?」と思われる感じをね。

若いころにドラマ出演で、アドリブで、笑いを取ることが身に沁みついているせいか、いつでもどんなときでも「受け狙い」みたいな。(;´・ω・)

わりかしね、マトモになったりする時があるね。そういう時に、「あ、ちょっと外そう」って思う。

みんなの意表をつくというか、そこをいつも狙ってるっていう。(・へ・)

也哉子さんがこの辺をうまく表現してるんですが。

それでいて、いつもユーモアがありました。ユーモアって、たぶん、心のゆとりじゃないですか。たぶん母は、元気な時もそうだったけど、「人生が残り少ない」と思ったからこそ、より強く心のゆとりを持って、おかしみを常に携えて、何事にも向き合っていきたいっていう、なんか自分の中で、そういう精神が決まっていたようでした。それが本当にブレなかったです。

ポロっと何気なく言うことが面白いんですよね。私の書いた、この記事で、樹木希林さんの本のエッセンスが伝わるといいんですが。

樹木希林さん、内田裕也さん、共にご冥福をお祈りいたします。

この世を生き切る醍醐味 (朝日新書)

この記事を書いた人
はづき

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